22年版の真の孤独について考えた。
馬鹿な人は群れてて、孤独な(時間がある)人は偉いという立場で話す。
ネットに繋がってる時間ってよっぽどの事がない限り孤独でない。
つべで商業化したことで、どういうジャンルのコンテンツでも体外面白い。もてなしてくれる。孤独じゃない。
下手でいいから自分の思考を掘り下げる事こそ孤独の価値で、その意味で動画と読書に偉さの差がありそう。
よく「クイズなんて覚えゲーだからネット検索で良いよね」という批判がある。多分これ言う人は小学校の歴史で躓いてる。
情報は解釈しないと意味なくて、大化の改新の年号が答えられたかどうかなんて意味ない。あれはテストが悪いと思う。教員の負担は置いといて記述のテストにした方が良いよね。
解釈された情報を得る事と、情報を解釈する事の違いかな。
個人の見解ですが、たとえば普通の大学受験は前者が効率良すぎてあんまり意味ない。
そんな微差のレベルなら普通の人は頑張らなくて良いかな。
こういう細部の詰めでしか他人との差なんて付かないので、やる立場なのは当然で
現代のワイワイコンテンツを辞めて孤独に走るのは相当な精神力が必要なんだよね。
俺も昼間からこんな事書いてるし、出来てない。
スポーツ選手的には体を鍛える=精神鍛錬らしくて、オフィス系の人でもそういう事言う人多い。ウォーキングレベルから土日のフットサルまで。
メンタル的な話だと、トレーナー付けるのが普通?
株あるある?で「~30年後、そこにはモニターを見つめる一人のおばさんの姿があったとさ」ってよく聞くけど、裏を返すとそこまで詰めたから生計立てれた訳で。
弱みを見せたほうが好感が得られるアレ。
しばらくテクニック的なの考えたけど、特に思いつかなかったので普通にやります。
この手の話をネットで探すと商業的な事ばっかりで、客としか思われてない感じ。自分で考えたほうがまし。
1日30分くらいは、迷ったら険しい方を選ぶ時間が必要。