息抜きと遊び

私にとって遊びとは結構激しい事で、遊びと息抜きが語感の限りで等しくない。息抜きとは何か。それは遊びでも仕事でも無い何か。なんとなく、寝ることだと思う。

 

性格だけは忙しいので、暇さえあれば何かしようとして、結局変なものばかりを見てしまう。そして疲れる。そういうことは息抜きではない。遊びにも仕事にも真剣になれないのは良くない。

 

何故こんな話をしているかというと、ゲーム実況とかその辺りが上に該当すると思っている。得るものが無い割に疲れるし、依存してしまう。ネット回線切ればいいとかそんな話ではなく。

他者への不満で、関係性を求めて得難い物を見ているのかもしれない。精神的なある部分での満足だと直感的に思う。そこを代替、というか本来のものにすげ替えれば解決しそうではある。こんな話は何回もやっていたことにも気づく。私はそれができなくて困っていた。

同じ趣味を共有したいとか、同じ感情をとか、同じシチュエーションをとか、そういうものだろう。頭での理解と心の剥離があるから、ある意味こうやって考える事も無意味なのかもしれない。

 

広くとって、やりたいことがあるけど出来ないくらいを考える。事情を知りたくなるので、解決不能の仮定をつけよう。努力で解決できないなら、仕方ないけど別の事をしていくしかない。

好きな分野を極めて、関わる人物を選別して、確率を上げていく事が俺のイメージに一番あっていて、それが一番成功に近い。

 

ゲームの魅力とはなんだろう。簡単に気持ちよくなれる所か?俺はそういう簡単さが嫌になったが、多分、殆どのゲームを俺は簡単だと感じる気もする。幼少期のイメージが未だに残っている可能性もあるが検証できない。ゲームをいくら頑張ろうと、俺のレベルでは企業に金をあげてるだけに過ぎない。真面目にやる意味が薄い。

楽しいからやっている、が一番近いのだろう。だがそれだと良くない。俺自身が腐ってしまう。俺の頭はまだまだ、超えるべき壁が明確にある。こういうのは、ゲーム感覚ではある。